ボッシュ師写真アルバムから①「セツルメント」の子どもたち

こんにちは。今回はアーカイブズ内で保管されているフランツ・ボッシュ師関連の写真アルバムを紹介します。残念ながら台紙から剥れてなくなってしまっている写真もありますが、生前のボッシュ師の写真から、学生寮の寮生を中心とした当時の学生たちの様子、各種イベント写真に至るまで、バラエティ豊かな写真は総計1000枚以上。1950年代の写真が主で、ボッシュ師が亡くなる1958年時点、つまり最晩年の写真も収められていて大変貴重です。そんな貴重な写真群のなかから、今回は「セツルメント」関連写真をピックアップ。

※ボッシュ師アルバム収載写真ながら、アルバム中の「セツルメント」関連写真ではボッシュ師の写っている写真は見当たらなかったです…。ボッシュ師が大きく写っている写真の紹介は次の機会に。

さて、セツルメント(settlement)とは、「スラムなどの貧しい地域に定住して、住民と触れ合いながら、教育、医療、保育などの活動を行うもの」です(詳しくは「上智大学100年のあゆみ 上智カトリック・セツルメント」http://www.asahi.com/ad/sophia/history/hi1931.htmlをご覧ください)。1931年、関東大震災の余波もあって困窮した人々を救済するため、上智大学教授のフーゴー・ラサール神父は東京三河島町に上智カトリック・セツルメントを設立。以後、おもにカトリック学生が中心となって、セットラー(セツルメントの活動に参加する学生たちを指す)として、貧しい子どもたちとの対話や、奉仕活動に努めていきます。セツルメント事業は広まりをみせ、1933年には荒川区町屋にセツルメント、その後同地に事業館が開設されます(1945年東京大空襲で焼失、1947年再建)。

ちなみに、1936年、セツルメントの経営母体は財団法人上智社会福祉事業団となり、上智学院は直接経営からは離れますが、その後のセツルメントの様相の一端は、ボッシュ師のアルバムから垣間見ることができます。ボッシュ師のアルバムに収められている「セツルメント」関連と思わしき写真は、現在確認できているもので1954年10月撮影にされた17点。セツルメントの大勢の子どもたちとの集合写真や引率風景、勉強・スポーツ(運動会)を楽しむ様子等々、笑顔のあふれる写真が並びます。なかには町屋セツルメント外観ミニチュアの写真も。

このミニチュア写真をみると、何と当時の学生寮(「カマボコ・ハウス(通称:ボッシュ・タウン)」)と同じ「カマボコ」型の建物が(もとはアメリカ軍関係の建物でしょうか)…。同時期の町屋セツルメントの写真と照合するに、これは「コンセントハウス(カマボコ)聖堂」という建物で、町屋のセツルメント事業館が再建された翌年の1948年11月に完成したようです(『上智大学セッツルメント写真集 1931~1967』NPO法人ミゼ福祉基金、2017年、11頁、アーカイブズ資料番号FC102-001-040)。当時の様子について、色々と考える材料を提供してくれます。

なお、セットラーの述懐や活動記録については、上智カトリックセツルメント・OB会『上智カトリックセツルメントの足跡 昭和6年(1931年)~昭和44年(1969年)―セットラーとその仲間の手記―』(2015年、非売品、アーカイブズ資料番号FC102-001-039)で回顧されているので、そちらと併せてセツルメント像を膨らませていきたいと考えています。

※「セツルメント」関連写真を含め、ボッシュ師写真アルバムに収められている写真の詳細は、アルバム内の手書きキャプションや、同時代の写真・記録をもとに鋭意調査・特定中です。   〔2022年5月2日、浅野記〕

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