ボッシュ師写真アルバムから②「1954年の1コマ~北海道訪問」

 今回は前回の「セツルメント」関連写真に続き、フランツ・ボッシュ師関連の写真アルバムのなかから、北海道訪問時の写真(『ボッシュ神父関係アルバムNo.8』、請求番号:アルバム3-17-8)をピックアップ。ボッシュ師がしっかりと写っていますので、その表情や訪問先での様子などもあわせてご覧ください。

 アルバム内の手書きキャプションによれば、ボッシュ師の北海道訪問は1954年7月~8月で、訪問先は確認できるところで札幌、旭川、網走の3都市。ここでは特に札幌で撮影された写真に注目してみたいと思います。

札幌の写真では、カトリック学校の藤学園(藤女子中学校・高等学校・短期大学)で撮影されたものが目を引きます。アルバムの中からは、同学園の学生たちも含めた大人数での集合写真のほか、教壇の前で語りかけるボッシュ師(講話のタイトルは「卒業後の信者に対して」)やヘルマン・ホイヴェルス師(第2代上智大学長、在任期間:1937~1940)の写真などが見つかりました!札幌の写真では、カトリック学校の藤学園(藤女子中学校・高等学校・短期大学)で撮影されたものが目を引きます。アルバムの中からは、同学園の学生たちも含めた大人数での集合写真のほか、教壇の前で語りかけるボッシュ師(講話のタイトルは「卒業後の信者に対して」)やヘルマン・ホイヴェルス師(第2代上智大学長、在任期間:1937~1940)の写真などが見つかりました!

教室内の写真をみると、全日本カトリック学生連盟に関係する縦幕を確認することができます。1954年の夏、北海道では同連盟の第7回全国大会が開催されているので(川中康弘「日本カトリック学連の動向」〈『世紀』第80号、1956年、43~48頁〉44頁)、ボッシュ師の北海道訪問のスケジュールは、この大会への参加をメインに組まれたものと思われます。ほかにも、札幌での写真にはボッシュ師が仙台のカトリック学生たちと一緒に写っているものなどがあります。北海道訪問は、ボッシュ師にとって各地のカトリック学生と交流する貴重な機会になったと推察されます。

札幌以外で写真にも目を向けると、旭川の写真は、旭川駅前や個人宅と思われる場所で撮影されたもの、網走の写真は、同市北浜地区での撮影でしょうか、“Kitahama”のキャプションが付されたものや、市内の展望台で撮影されたものを確認できました。北海道内だけでもかなりの移動距離ですね…。

ボッシュ師のアルバムには、こうした上智大学外での写真のほか、学内で卒業式に際して撮られた集合写真なども収められています。学内外でのボッシュ師の活動や表情をたどるうえで貴重な資料ですので、今後ともアルバムの構成や各写真、付記されたキャプションの内容の調査を進めてゆきたいと思います。詳細が明らかになり次第、ブログ上で追記するかもしれません。〔2022年5月2日、浅野記〕

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